俺は、ただ一つの仕事を成し遂げるために、無知の人となった。
これは天才の物語である。天才が再び”奔る”物語である。
幸福のその先、あるいはツバメの飛び立ったその先、彼らが辿り着くのは如何なる境地であろうか?
そして同時に、凡人が天才に挑む物語である。
前編「サクラノ詩」から続く壮大な物語の終着点、それが「サクラノ刻」である。
もしサクラノ詩をプレイしたとしたら、この作品はやらずにはいられない。もしサクラノ詩を未プレイなら、今から始めよう。
※例によって、ネタバレを極力避けていますが、挿入画像等により、ネタバレと感じる可能性も否定できませんので、自己責任でお願いします。また、挿入画像は引用という形をとり、権利はすべて該当の権利者様に帰属致します。
概要
どれを買えば?

パッケージ版とDL版が存在しており、かつパッケージ版には初回限定と通常版の2種類が存在している。
特別な理由がない限り、パッケージ版の初回限定版を購入されることをおすすめする。
というのも、初回限定版には本体の他にボイスドラマや小説「凍てつく7月の空」等が付属しており、この小説がサクラノ詩・刻の補完および素晴らしき日々との関連を示唆する内容を含んでいるからである。
最近発売された作品ゆえにDL版のセールもほとんど行われていないことからも、パッケージ版を買うことをおすすめする。
作品構成

高校の非常勤講師となった草薙直哉のその後が描かれる。
かつての天才が、凡人としての幸福を求め、日常の中へと還っていく物語が「サクラノ詩」であった。
そんな彼が、再び筆を手に取り、凡人から天才へと奔る物語が、全5章を経て描かれるのが本作である。
彼は、あるいは彼らは、一体どこへと向かっていくのだろうか。
王子の心臓は果たして返されるのだろうか。そして、ツバメの向かう先とは一体どこなのだろうか。

各章の紹介は、公式サイトが詳しい。
魅力と感想
超美麗なイラスト

サクラノ詩の時点でもかなり美麗なイラストであったが、サクラノ刻で大幅に強化さたように感じる。(塗りが大幅に変更された?)
CGはどこを切り取っても美しい。特に、作中で紹介されていた絵画が文章だけでなく、しっかりとした絵として与えられているのが良かった。
神曲の数々
サクラノ詩では、ギャルゲ史に遺る神曲といっても過言ではない「櫻ノ詩」があったが、サクラノ刻の曲も決して負けていない。
オープニング曲である「詩ト刻」を筆頭に、エンディング曲は勿論、BGMに至るまで、神曲が並んでいる。
名曲とともに紡がれる名シーンは圧巻の一言。サブスク解禁していないのが悔やまれる……

サントラ…やはりサントラはすべてを解決する…
ヒロインであり、生き様の選択

この作品の個別ルートに関して、特に面白いのがヒロインを選択する、という行為がそのまま生き様を選択する、という行為に至る点である。
本作は、個別として鳥谷真琴√と本間心鈴√、そしてグランド√が存在しているが、各々の√で主人公が全く異なった生き様を選ぶ。
サクラノ詩で、天才から凡人へと還った後、直哉はヒロインとの交流を通じて、ある刻は青春を取り戻し、またある刻には教師として生きる。あるいは、凡人から天才へと、奔る刻もあるだろう。
因果交流の中で、直哉がヒロインと同時に自分自身の生き様、刻を選ぶその過程と結末こそ、サクラノ刻という名にかなうものなのだと実感する。
衒学万歳!!

この作品は、同シナリオライターの「素晴らしき日々」や「サクラノ詩」同様に、哲学や芸術の取り扱いという側面から、しばしば”衒学的”という批判を受ける。(このことについてはサクラノ詩レビューでも言及した)
確かに、この作品は扱う内容が半ば見せびらかすかのように高尚だったり、一部作者の思想の垣間見えない貼り付けた引用かのように思える場面が少なからず存在したりする。
けれども、その高尚さを決して押し付けもしないし、哲学や芸術の取り扱いは、舞台装置として適切に機能しているように、素人目からも思えた。
何より、別に衒学だっていいじゃないか。私のように、そういうものが好きな人間だっているだろう?なぜそこまで衒学を敵視するのだろう?(自分自身が衒学者という意識があるからこその同族嫌悪?)
いずれにせよ、扱う舞台装置は高尚味があるが、予備知識がなくても多少の興味さえあれば楽しめる作品であるから、身構えずぜひプレイしてみてほしい。

哲学も芸術も門外漢だが、それでも全然楽しめた。いやむしろ、門外漢だからこそ楽しめたのか?(哲学や芸術に精通した人からどう見えるかは気になる)
再び天才へと”奔る”物語

前作のサクラノ詩は、レビューでも述べたように、かつて天才であった直哉が、凡人としての幸福を求め、日常の中へと還っていく物語と述べた。
この点は、サクラノ詩では、直哉の天才性よりも、年相応の少年性や自己犠牲の精神といった、人間的な不完全性にスポットライトが当たっていることからも用意に想像できるだろう。
前作が、彼の凡人性を詩うとするならば、本作は彼の天才性を刻むのだろう。
天才であり、また因果交流的電燈の芸術家である彼の生き様に、ぜひ注視してほしい。
凡人で良かったと思えた

冒頭でも、「これは凡人が天才へ挑む物語である」とも述べた。
サクラノ詩の中では、ヒロインと直哉にちょっかいかけてくるくらいの存在でしかなかった、長山香奈先生がこれでもかってくらい活躍する。
凡人代表として、天才に挑むクライマックスは、正直涙なしに見られなかったし、「第二の主人公」として、大好きになった。
私は今まで、自分が天才側でないことを憎んでいたが、サクラノ刻に触れ、長山香奈と出会ったことで、「凡人でもいいんだ」思えた。
「才能は凡人を裏切りますが、技術は凡人を裏切らない」
この言葉に代表される、彼女の生き様は、私の人生観に類を見ないほどの影響を及ぼしている。
才能で挫折したすべての人へ!!!

これプレイした人は、全員自認が長山香奈になったのではなかろうか?
長山香奈は我が人生の師。(長山香奈の話もっと深堀りしてくれればええんやで~公式さん)
サクラノ詩、あるいは「幸福な王子」へのアンサー

サクラノ詩は、幸福な王子そのものであった。
献身によってボロボロとなった王子を、王子に助けられた人々が助け、ツバメのもとへと導くこの物語は、サクラノ詩へのアンサーであると同時に、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」へのアンサーの1つであるように思われる。
サクラノ詩は、終始伏線を貼りながら、一部ワッと驚くような展開になることもあった。
そういう意味では、サクラノ刻は伏線の回収と種明かしの物語であり、丁寧に丁寧に一つの終着点に向かうような、着地の見通せる作品であると思う。

とはいえ、決して退屈な作品ではなかった。
詩が展開で見せる作品なら、刻は含蓄でみせる作品。
ある意味壮大で、ある意味こじんまりとした世界観

サクラノ詩に引き続き、刻についても、「世界的芸術家」だとか「世界的公募展」だとかいう、スケールの大きい言葉が頻出する。
彼らの見ている世界は、「世界的」という名にふさわしい、凡人には及ばぬ領域なのだろうと思う。
しかし、物語の主軸は、あくまで「草薙直哉」という個人の周辺、その人間関係に置かれており、そこから逸脱することは終始ない。
言葉から連想される壮大さに比した、世界観のささやかさと人と人とのちいさなつながりこそが、主人公草薙直哉の「因果交流的電燈」のような、「櫻」のような芸術家の姿であり、「日常の延長にある幸福」という、作品を貫通するテーマそのものなのだと痛感する。

もしも日常からかけ離れた、壮大な世界で物語が記述されていたのであれば、「日常の延長にある幸福」という本質が、覆い隠されてしまったのではないかと私は思う。
プレイ前・後にぜひやってほしいこと
サクラノ詩OPの視聴
サクラノ詩を刻の前にプレイすることは勿論、刻終了後にもぜひ詩のOPを視聴してほしい。
「櫻ノ詩」という曲が、詩だけでなく、刻の内容までもを示唆する、物語全体を貫通する曲であることがおわかりいただけると思う。
元祖と10th版両方とも視聴してほしい。
素晴らしき日々のプレイ

詩のレビューでも触れたが、素晴らしき日々とサクラノ詩・刻は、部隊は違えどもテーマがつながっている。
純粋にお話を楽しむという意味では素晴らしき日々をプレイしていなくても詩・刻は楽しめるが、「サクラノ詩・刻をつくるために素晴らしき日々をつくった」とシナリオライターが明言しているくらいには重要なので、ぜひプレイしてほしい。

作者の意図を汲むのであれば、素晴らしき日々を最初にプレイするべきだが、詩・刻の後でもさして問題ないように素人目には映る。
幸福な王子
詩のレビュー記事では、同じくオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を挙げたのだが、本レビューではあえて「幸福な王子」についてのみ言及したい。
というのも、ライターの芸術論や哲学論を色濃く反映しているのが詩でありドリアン・グレイの肖像であるのに対し、純粋な幸福(捉えようによっては哲学論に包含されうるものかもしれないが)を描写するのは刻であり幸福な王子であるからである。
幼少期、童話としてなんとなく「幸福な王子」に触れた方も多いとは思われるが、ぜひ詩・刻のプレイ前後に読んでほしい。
最後に、ただ「ありがとう」と……

難解な哲学と芸術論によって紡がれる壮大な物語は、至極簡単な言葉で結ばれる。
本編の難解さと壮大さとは似ても似つかぬ、小学生でも知っているであろう、一言だ。
きっと、この物語を知らぬ人が聞いたら、「なんだ、そんな言葉か」というくらいの言葉なんだと思う。
けれど、私に言わせてみれば、この物語の重さを言い表すのには、このうえない言葉だと思われた。
そして同時に、その言葉のもつ重さをも、再認識した。
きっと私は、この言葉に出会うたびに、彼と、その友人にして好敵手であった、あの少年のことを思い出すのだろう。
その言葉はこの物語、そして草薙直哉の人生そのものだ。
私は2005年生まれだが、2000年代から2010年代の作品が好きだった。
それゆえ、10年早く生まれなかったことを悔やむことが多々あったが、この作品に出会えたことで、むしろそうでなかったことに感謝したくもなった。
このような価値観を揺るがすような魂の作品に、大学生という青年期に出会えたことは、私にとって極めて重大なことで、まさしく望外の喜びと言える。
ゆえに、この物語と、私の人生に重ねて、この記事もあの一つの言葉で結ぼう。
―――ありがとう。





コメント