【電波×哲学の怪作】素晴らしき日々~不連続存在

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―――幸福に生きよ

二度とこのような作品には出会えぬと断言できる、私にとっての「魂の作品」である。

決して万人に勧めることはできないが、一部の者からは至上の評価を得るであろう。

電波と哲学に興味がある人におすすめ

※今回も、なるべくネタバレは避けますが、挿入画像等でネタバレになりうる可能性があります。ご容赦ください。


理系ヲタク🤡
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概要

どれを買えば?

現在、初回盤、通常版、HDフルボイス版、10th Anniversary特別仕様版が出ている。

結論としては、HDフルボイス版を買うのが良いだろう。

10th版はプレ値がついており、入手困難、初回盤、通常版については男性キャラクターに一部声優がついていないので、価格と満足度の観点からHDフルボイス版を買うのがおすすめ。

※HDフルボイスでは、追加シナリオがある。

理系ヲタク🤡
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ガチで余談なんですが、曲が素晴らしすぎるので是非CDも買ってください。

「空気力学少女と少年の詩」が有名だけど、インストの【夜の向日葵」も神なのでぜひ。

作品構成

以下、HDフルボイス版について作品の概要を述べる。

全7章からなり、同じ時系列を、異なる主人公の視点で描いていく。

「幸福に生きよ」がテーマであり、ウィトゲンシュタインの論理哲学論考他、哲学、文学作品を踏まえた描写および、ぶっ飛んだ設定(所謂電波要素)が特徴。

※ウィキペディアを見るとネタバレ食らうので注意。

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特色・感想

しっかり電波なので注意

万人に薦められない理由がここにある。

頭のおかしい人物が複数人登場することはもちろん、グロ、レ◯プやいじめ、男性、女性同士での性行為等々、耐性がないとなかなかきつい。

理系ヲタク🤡
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性的な描写に関してはほぼすかぢ先生の性癖だろ…..

前述した要素があるため、エロシーンは抜けなかった。(ここ重要)

3章から加速度的におもしろくなる。

一章、二章あたりはわからないことが非常に多く、正直おもしろいとは言えぬかもしれない。

理系ヲタク🤡
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哲学や文学作品の引用が多く、はじめは作者の自己満足だと思ってた。

しかし、3章になると話は変わってくる。

はじめは無意味に思われた哲学作品、文学作品からの引用が、物語の根幹をなす、非常に重要な要素だったことが徐々に明らかになってくる。

理系ヲタク🤡
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文学作品の落とし込みの巧みさに関しては、全く脱帽と言わざるを得ない。

とくに、「不連続存在」の意味を理解したときは鳥肌たった。

一、二章については冗長に思われるかもしれないが、舞台設定のうえで非常に大事な章なので、忍耐してほしいところ。(完走後に一、二章に戻ってくると、わかることが多いかもしれない。)

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教養でもっと楽しめる

この作品では、「論理哲学論考」を中心に、他にも「シラノ・ド・ベルジュラック」、「銀河鉄道の夜」、「クトゥルフ神話」、「鏡の国のアリス」、「ふしぎの国のアリス」といった作品からの引用が多く見られる。

もとから文学、哲学には興味があったが、この作品がきっかけで新たな扉が開けたので、感謝してもしきれない。

引用元の作品を知らなくても十分楽しめるが、知っているともっと楽しめる。

知らなかったとしても、興味を抱くきっかけになる、そういう点では文学や哲学の登竜門的作品なのかもしれない。

理系ヲタク🤡
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特に、「論理哲学論考」を読むと、すばひびの世界観への理解が深まるので、余裕があれば読むことをおすすめする。(詳細は後述)

二周目からもおもしろい

正直、一周目で理解し切るのは難しいと思う。

一周目は雰囲気をなんとなく楽しむという意味で「感情的」に作品を理解し、二周目は考察を楽しむという意味で「理性的」に作品を理解する、そういう楽しみ方がいいと思う。

もちろん、考察という堅苦しいことをしなくても、雰囲気だけで十分楽しめる。

つまり、「噛めば噛むほど味のする」作品なのである。

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やると決めたら集中してやるのが大事

各章がインタラクティブなので、前章の内容をしっかり覚えているうちに進めていったほうが楽しめる気がする。

途中、鬱シーンの多さから挫折しそうになるかもしれないが、やると決めたなら最後まで、一気に駆け抜けていってほしい。素晴らしき日々は、すぐそこにあるのだから。

幸福とは一体何なのか

この作品を貫通する思想は「幸福に生きる」ということである。

身近な死とそれと隣り合わせにある素晴らしき日々、その対比によって、幸福の意義と正体を解き明かそうとしている。

幸福になれぬことの難しさは、人がなかなか幸福に気付けぬことにあるのだと、そう感じた。

「幸福に生きる」とは、幸福になろうと努力することではなく、身近な幸福に気付く、まさにそれなのである。

人生に迷う人、日々をなんとなく生きづらく感じているような人にとっては、大いなる教訓になりうる作品だと思う。

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他にも格言がたくさん

このテの作品は、何かと格言が多い。中でも印象に残っているものをいくつか紹介しておく。

文学は勝つための学問じゃなくて……負けないための学問だよ……

希実香「文学じゃ敵は倒せないよ……敵を倒す学問は化学と物理のみ!」

ざくろ「くす、くす、でも文学は負けないよ」

希実香「負けない?」

ざくろ「文学は勝つための学問じゃなくて……負けないための学問だよ……

    だから、私は戦えるんだよ……」

かなり有名なシーン。

自然科学という「勝つため」の学問(戦争に勝つ、勝負に勝つ等)と対比された文学の「負けないため」の学問(心の拠り所、勇気をくれるもの、くじけないためのもの等)という解釈に感銘を受けた。

理系ヲタク🤡
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坂口安吾の「不良少年とキリスト」にも似たような解釈があった気がする。

人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

坂口安吾 不良少年とキリスト

その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ

「わが子よ。 私の大切な子供よ。 私はあなたを愛している。 私はあなたを見捨てはしない。あなたの試練と苦しみのときに、ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ」

砂の上の足跡 | 心の家路
ある晩、男が夢をみていた。夢の中で彼は、神と並んで浜辺を歩いているのだった。そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上にはふたりの...

実際は「砂の上の足跡」という詩からの抜粋であるが、すばひび内でも触れられていたのでここで言及しておく。

かなり終盤で由岐と皆守が交わす会話の中で描かれている。

キリスト教ではかなり有名な詩のようだ。↓

Footprints (poem) - Wikipedia
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関連作品について

「これにも触れるといいかも」と個人的に感じたものを紹介する。

すばひびのための「論理哲学論考」

触発されて、私も岩波書店の野矢茂樹訳の【論理哲学論考」を読んでみた。

私は哲学を専攻する身ではなく、そういった類のことには疎い。それを承知の上で参考程度に読んでいただけるとありがたい。

※論考に興味がある方は、まずはちくま学芸文庫の「『論理哲学論考』を読む」から入られることをお勧めする。

  • チュウイ
  • 別タブ

完全に個人の自己満足レベルの話なので一応別タブにしておいた。まじで大したことかけてなくてオワッタ

抑えておくべきことは2つだけ、「世界の見え方は一つとは限らない」ということと、「世界の限界は言語の限界である」ということ。

世界は普遍的で不変的にそこにあるかのように思えるが、唯我主義的にはそうではないらしい。自分という主体の意識そのものが世界を形づくり、主体の存在がなければ世界は存在しないというものである。(つまり、主体によって世界の見え方、もっといえば世界そのものが異なる)

この思想はすばひびにもかなり表れており、主人公を変化させていく構成に特に感じられる。

次の言語の話は、かなりウィトゲンシュタイン独特のものとなっている。

これは簡単な話ではなく、著書を読まないと完全には理解しかねるが、大凡「我々は言語を媒介して思考、対話する以上、言語の限界が思考の限界、更には(唯我論的に主体の了解できる範囲の)世界の限界である」というものだと私は解釈している。

ウィトゲンシュタインという大天才の思考を完全には理解しきれないが、私の了解する範囲でなんとか纏めてみた。

重ね重ねで申し訳ないが、私は個人的な趣味の範囲で論考を読んだに過ぎないので、間違いが多くあるかもしれない。ご容赦の程を。

幸福のその先へ「サクラノ詩・サクラノ刻」

舞台設定は異なるが、シナリオライターが同じであり、すば日々と思想を共有した二作である。詩→刻とプレイしてほしい。

素晴らしき日々と比較して、電波感はまったくなく、それでいてライターの癖と慧眼は十分に発揮された作品だと感じた。

万人に十分勧められる。(この作品のおかげ?で私はこの年になって中二病を再発した。)

芸術の在り方とか、天才の生き方とか、そういう普段馴染みのない、けれど確かな刺激ある題材に触れられる作品であった。

伝えたいことは数多あるが、ここでそれを伝えようとするのはナンセンスであろう。

よって、次の記事(いつになるかわからん)に譲るものとする。

シラノ・ド・ベルジュラック

「ボクたちは、ただ名ばかりでシャボン玉の様にふくらんでしまった……そんな空想の恋人に恋いこがれている……」
「さぁ、君、取りたまえ。この空想を、そして本物に変えるのは君だ」
「ボクは恋の嘆きとか書き散らかしたけど……彷徨う鳥の留まるのを君は見る事が出来る人なんだ」
「さあ、取りたまえ。実はないだけ雄弁だと……君にも分かる日が来るから」
「さあ、取りたまえ!」

この戯曲から多くの引用がある。この作品から、作中の人物は勇気を得ている。

言わずとしれたロスタンの戯曲であり、邦訳の映画もある。

ただ、作中の引用に多く触れたいのであれば、書籍を購入されることをお勧めする。

邦訳は様々あるが、下記の訳が最も現代に即していると感じたのでURLを付しておく。

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総評

兎にも角にも、シナリオライターの純粋な構成力と、分野に囚われない教養の広さに敬服するばかりである。

いやはや、単なる電波ゲーと呼ぶにはもったいない、魂の作品である。

幸福が、語りうることではないように、この作品の素晴らしさも語りうることではない。

この作品には多くの引用と、多くの教訓が詰まっている。

素晴らしき日々という世界を、あなたという主体自身で、是非創造してみてほしい。

私が最後に言いたいこと、というかこの作品から受け取ったメッセージはただ一つ。

「結果的に幸福だった」と思えるように今を選択するしかない

皆様の選択に、後悔なきよう。

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