波動関数と観測という言葉はマズイと思う

量子力学
量子力学

 量子力学を学んでいく過程で、必ず「波動関数」や「観測」といった言葉に遭遇する。しかし、この言葉はコペンハーゲン解釈のうえでは、時として誤謬を招く、危ういものであるように感じる。

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和χ

わカイと申します。学問とエチゲが好き。自認は間宮卓司です。東大でD進して量子情報の研究したい。

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波動関数

 シュレディンガー方程式の解として、波動関数が得られる。これは、当然波動力学及びシュレディンガー描像に基づくものであるが、ここで注意しなければならないのは、コペンハーゲン解釈においては、波動関数はあくまで確率分布のみを与え、物理的実在ではないということである。

 ところが、「波動関数」という言葉によって、あたかも波動としての物理的実在をもつかのように見えてしまう。確率分布が、実際の波動のような形をしているために統計的に見たときに波動性を示すだけで、実際に波動として存在するわけではないことに注意が必要である。

 ゆえに、波動関数ではなく、行列力学での状態ベクトルという呼称のように「状態関数」といった表現を用いるのが適切であると考える。

観測

 観測という言葉も、よく用いられるように感じる。

 しかし、「観測」という言葉は、「観測者」という言葉を連想させ、主観が内在した言葉のように感じられる。

 だが、量子力学おける観測に伴う諸事象は、量子力学が行列によって記述されることを端緒とした、自然な要請であり、主観的な要素を伴うわけではない。

 量子力学の観測は、意思といった主観的な要素を伴わないが、一般に用いられる”観測”が主観を伴うかのような言葉であるから、量子力学の観測がしばしばスピリチュアルな文脈で誤用されてしまうように思う。

 例えば、「自分の意思次第で結果が変えられる」とか、「意識が現実を変える」のようなものである。

 スピリチュアルな文脈で量子力学を誤用するのは、不誠実極まりないが、「観測」という言葉自体も良くない気がする。

 観測はあくまで相互作用の一種であり、やはり主観を伴わないことは強調せねばならないし、観測ではなくせめて「測定」という言葉を用いるのが適切だと思う。

結論

 というわけで、量子力学を勉強していく中で、微妙だと感じた「波動関数」と「観測」について私見を述べた。まったく式が登場しない、ほぼお気持ちみたいな記事であるから、本来は「ヒトリゴト」のカテゴリに属する内容かもしれないが、あえて「勉強部屋」に残しておこうと思う。

 実際量子力学を学ぶうえで、この2つの言葉によって、私自身誤ったイメージを持ってしまっていたので、同士は多いだろうと思う。

 ただ、最後に明言しておきたいのは、決して「波動関数」と「観測」という言葉が絶対悪とは考えていないということだ。

 2つの言葉は、歴史に根ざし、かつ一般的な言葉であるため、初学の方にとってはとっつきやすい言葉ではあると思う。

 ただし、先述したような誤謬を招くから、補足説明は必要であると思う。(私が最初に読んだ教科書は、そのような補足が一切なかった!)

 最後に補足しておくが、「波動関数」の収束を環境との相互作用によるものだと考えるのは、解釈の1つであり、今もなお議論されている問題である。また、「波動関数」という言葉自体も、波動性を波動という物理的実在によるものだと解釈する多世界解釈やパイロット解釈においてはむしろ肯定されるべき表現であることは留意されたい。

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