自身の加害性に無自覚であるな。

ヒトリゴト
ヒトリゴト

我々は日々、加害と被害、あるいは損得の協奏の中を生きている。

あらゆるものを損得で見、自分にとって損となるものについては排除し、得となるものについては奨励しようとする。(純粋な善悪だけでものを見られる、と主張する人もいるが、善悪とはそもそも何なのだろうか)

そして、自分の中での$(\text{得}) – \text{(損)}$を最大化するために時に加害という手段を取るだろうし、また他者からの被害を受ける場合もある。

そういう意味で、「より良い社会」というのは、その競争の中で多数派あるいはその集団の中での有力者側にとって、損に対する得が最も大きいというだけなのだと思う。

「公共の福祉」とは言うものの、人が人である以上齟齬は必ず生じ、大なり小なり加害を日常的に行っている。

民主主義が究極の治世とみなされるのも、その恩恵を享受している我々大衆にとって、さしあたって都合がいいからである。

大衆にとっての$(\text{得}) – \text{(損)}$を最大化する図式、なるほどよくできたシステムで、実際この前提があるからこそ現代社会は局所的な混乱はあれど、ある程度うまくいっていると(少なくともその恩恵を享受する側にとっては)みなされるのだろう。

戦争や犯罪は一般的には悪とされているし、そのような価値観のもとで社会がうまく成り立っているわけだが、それらの行為によって生じる得が、損より大きいのであれば、私はむしろその行為を奨励してしまうだろう。(戦争によって難民が生じ、物価高になるという負の側面が強いため、私はさしあたって戦争に反対であるが、もし軍需のように得が大きければ局所的に応援してしまうだろう。もちろん逆もありうる)

だから私は、加害性を悪だとは思わないし、加害の基準という価値観が変わっていくことが不合理だとも思わない。ただし肯定もしない。

自分自身もまた、加害性を内包しており、そのような構造に今のところは助けられているからである。

しかし、自身の加害性に無自覚であること、これについてはその限りではないと思う。

自身の加害性に無自覚であること、それはすなわち、このような損得のうえでうまく成り立っている社会に対して無自覚であることにほかならない。

現代社会からの恩恵に預かっておきながら、その根本的な構造に対して無自覚であることは、私には到底理解出来ないし、許容することができない。

結論、何が言いたいかと言えば、私は自分自身の自己顕示欲のためにオタ芸をし、ツイッターでもあることないこと呟いているが、それはすべて得が上回っているからである。

(このようなオナニーみたいな記事を書くことも加害性だが、ワチの中では得が上回っているので😅)

私の行動が加害性を帯び、他者に迷惑をかけていることは重々承知しているが、私の中では現時点においては$(\text{得}) > \text{(損)}$の図式が成り立っているのである。

だから私は他者の加害性を批判しない。しかし、加害性に無自覚であることは容認できない。

(ゆえに、ぬい活は批判しないが、ぬい活による加害性に対して無自覚なやつは許せない)

そして、時代や環境の要請に併せて価値観が変わるのも致し方ない。

(今のところ$(\text{博士課程}) \gg \text{(就職)}$なので博士課程行こうとしてるけど、不等号の向き変わったらその限りじゃないので許してクレメンス)

この記事をご覧の数少ない方には、是非私の考えに賛同してほしく思う。

そして実はこの記事の内容は、何かを批判しているようで何の批判もできていない、というより、議論が循環してしまうことに皆さんはお気づきだろうか。そう思うと論理的にややおかしいこのブログは$(\text{得}) \ll \text{(損)}$のような気がしないでもないが、所詮「ヒトリゴト」での戯言だし、そこに関しては無自覚であり続けよう。

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