私が共通テストを受けた日から早1年が経つ。
それに対する面持ちは受験生と言えど人それぞれであろう。
例えば、共通テストの配点が高い大学を志望する者。
彼らにとって言えば、共通テストが大学受験そのものであろう。
或いは足切りのある大学を志望する者。
前者程共通テストに重要性がないとはいえ、致命的な過ちをすれば、受験資格そのものを失ってしまうという恐怖に、絶えず苛まれることだろう。(私も去年はこちら側であった。)
共通テストなぞどこ吹く風、というように思う者。
共通テスト受験の必要がない私立大学を志す受験生、二次試験の比重が高く、足切りが低い大学を志望する受験生、彼らが該当するであろう。
受験生の苦悩とは裏腹に、共通テストは毎年やってくる。
ただの色塗りで人生が決まりうるかもしれない、そんな悪夢のような二日間、私はその二日間を今もありありと思い出す。
―――或いは、この先も共通テストが近づくたびにあの二日間を思い出すのであろう。
大学にて
大学に登校してみると、不思議な看板があった。
私が大学の二次試験を受けて以来の、不思議な文字列が書かれた、不思議な看板である。
1月中旬というこの時期を鑑みて、苦も無く一つの結論に行き着いた。
この大学は共通テストの会場なのだ。
無機質に踊る受験番号の一つ一つが、この一年を勉学に費やした所以の産物と考えると、それはどんな地上波のドラマよりも、よっぽどドラマチックらしかった。
―――ふと1年前を思い出した。
共通テストという、通過点でありながら、人生を確定しうる凶悪な存在を。
一年前、あの日私は
受験会場はよく親しんだ母校であった。
今思えばこの点、私は世間の受験生より恵まれていたのかもしれない。
正直に告白すれば、私は共通テストに対して不安感はあれど、自信などは到底なかった。
年が明けるまで、私は共通テストを舐めていた。
私の第一志望は共通テストの配点が低かったという事実と、「共通テストくらい、ちょっと対策すれば点取れる」という根拠のない奢りから、年が明けるまで対策をほとんど講じてこなかった。
年明けに共通テスト予想パックを解いて驚愕した。
これほど、共通テストは難しいものだったのか、標準的な難関国立大志望者ならば9割は堅い、そんなテストではなかったのかと。
共通テストまで2週間という直前も直前に、ようやく私は対策を開始した。
結局取れた点数は85%弱であった。
足切りには引っかからぬといえど、第一志望のボーダーには到底届かぬ結果であった。
とはいえ、マーク式故部分点は入らぬ、ろくに対策もできておらぬ、そしてなによりマークミスですべてが無に帰すという共通テスト独特の緊張感の中で、なんとか最高点をとれたという喜びは、確かに強かったと記憶している。
受験生へ
アドバイスできるほどの資質はないが、それでもあえて何か遺すならばそれは一つ。
どうか落ち着いて、問題に取り組んでほしい。
共通テストは時間制限が厳しいから、「早く解くこと」を意識されている受験生は多いだろう。
しかしそれは決して「焦ること」と同義ではない。
共通テストは誘導が多いから、問題文を焦らず、しっかり読んだ方が実は得点につながるように思う。
「早く解きながら冷静に」というのはいうのは易くとも、行うには難い。
とはいえそれが共通テストである。
一年間勉学に励んだ受験生には、その実力を存分に発揮する資格と義務がある。
どうか、共通テストという魔物に憑かれることなく、頑張ってほしい。
焦ったら深呼吸
これを意識して、まだ続くだろう受験生活の一通過点である共通テストと、少しの緊張感と、大いなる自信で乗り越えていってほしい。
検討を祈ります。
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